着想メトロ

アイデアとは、世界の捉え方を再構成することで新たな価値を獲得し、さらにそれを経験によって持続させる、一連のプロセスのこと。

遠野物語――文化とは精神のふるさと

 土着の文化や風習には古くからの信仰が影響していることが多い。そこで民俗学は日本人のものの見方、捉え方に関して興味深い知見を与えてくれる。科学的根拠のない信仰は意外とどの地域にもあるもので、幼少時代の記憶を強く刺激し、懐かしい思い出を呼び起こす。そういった理由でこの分野に惹かれるのかもしれない。

 また実際的な意味でも、文化の保護と継承は、共同体さらには個人のアイデンティティに対して計り知れない重要性を持つことから、この学問の創始者といってもよい柳田國男は偉大であったと言えよう。

 

 ただし遠野物語は「文学」である。この点に注意しておかないと誤解を招きかねない。これは確かに柳田が「聞いて回った話」なのだが、彼が接した「物語」はその時点で文学ではなかったはずである。それは「語り」という行為を通じて継承された。そしてこの行為こそ、文化を生き永らえさせる主たる方法なのである。そしてこの語りに魅惑されたのが、この柳田という男なのであった。それが文字に直され固定されてしまった以上、この物語の命の多くは既に失われていると考えた方がよい。

 肉声によって直接伝わる、胸を震わせるような感動と臨場感は、やはり口伝によってしか味わえない。現実にそれを体験した者、もしくはその周囲にいた者の語りは、感情がこもっている分強く響く。そして「体験者」によって文化は継承されていくのだ。

 ここで遠野物語の前書きにある、柳田の有名な一句を引用しておく:

願はくは之を語りて平地人を戦慄せしめよ。

 力のこもった一文である。この時点で柳田は「体験者」となっていたのかもしれない。

  今回は遠野物語のエピソードを紹介して終わる。なお語彙の意味は大和書房の「遠野物語」を参照した。

 

。 山々の奥に山人住めり。栃内村和野の佐々木嘉兵衛と伝ふ人は今も七十余にて生存せり。此翁若かりし頃猟をして山奥に入りしに、遙かなる岩の上に美しき女一人ありて、長き黒髪を梳りて居たり。顔の色極めて白し。不敵の男なれば直に銃を差し向けて打ち放せしに弾に応じて倒れたり。其処に馳せ付けて見れば、身のたけ高き女にて、解きたる黒髪は又そのたけよりも長りき。後の験にせばやと思ひて其髪をいささか切り取り、之を綰ねて懐に入れ、やがて家路に向かひしに、道の程にて耐へ難く睡眠を催しければ、暫く物蔭に立寄りてまどろみたり。其間夢と現との境のやうなる時に、是も丈の高き男一人近よりて懐中に手を差し入れ、かの綰たる黒髪を取り返し立去ると見れば忽ち睡は覚めたり。山男なるべしと云へり。

 山奥には山人が住む。栃内村和野の佐々木嘉兵衛という人は七十を越えて今も存命している。彼が若い時分猟で山奥に入ったとき、遠くの岩の上に美しい女が一人居て、長い黒髪を梳かしているのを見た。顔の色は極めて白い。不敵にもすぐさま銃を向けて打ち放つと、女は弾を受けて倒れた。そこへ駆けつけて見ると、背の高い女で、解けた黒髪は身長よりも長い。後の証拠にと、その髪を少しだけ切り取り、輪にして束ね懐に入れ家路につくも、道中で耐え難い眠気を催したので、しばらく物陰に立ち寄ってまどろんでいた。意識が朦朧とする中、こちらも背の高い男が一人近付いてきて、懐に手を差し入れて、輪にして束ねておいた黒髪を取り出し立ち去るのを見て、たちまち眠気もとんだ。山男に違いないと彼は言う。

 驚くべきは女を見かけた彼のとった行動である。普通は「女」だと認識できている時点で銃を向けるなど考えられないだろう。これは彼がこの女性を「人間とは別のもの」と捉えていたことを意味する。山には人外のものが住んでいるという実感が彼にはあったのではないか。

遠野物語

遠野物語