着想メトロ

アイデアとは、世界の捉え方を再構成することで新たな価値を獲得し、さらにそれを経験によって持続させる、一連のプロセスのこと。

祖父

 

 祖父が死んだとき――彼は75歳という若さでその人生を終えたが、僕は実家に帰省中で、その場に居合わせることができた。

 朝、透析に行くというので、祖母の付き添いのもと出掛けた祖父は、小便がしたいといって庭の茂みに入り、突然唸り声をあげて、そのまま祖母に寄り掛かるようにしてずずと崩れた。横で腕を掴んで祖父の躰を支える祖母に対して「背負い投げでもする気か」と言ったのが、最期の言葉だったという。

 僕はといえば、祖父が庭で危篤状態だというのに、自室でぐっすり眠り込んでいた。けたたましい音を立てて部屋に飛び込んできた母の第一声が、「おじいちゃん息してない」だった。

 

 人間というのは忘れる。あれだけ感動したものが日を追うごとに色褪せていく。だからこそ思い出さなくてはならない。それは折りに触れて自ずと姿を現すこともあれば、思い入れのある品に触れて息を吹き返すこともあるだろう。

 

 葬式では、祖父に戒名を授けた地元のお寺さんの住職が、読経の後、祖父との思い出を語った。彼は旅立ってしまったが、みなさんの心の中で生き続ける。彼が歩んだ人生を越えるよう各々が精進すること。命は死して終わるのではない。死の瞬間、その命は伝播する。残された者の糧となる。

 耳の遠い坊さんで、幼少の時分は家に御経をあげにくるたび恐くて部屋に逃げ込んだものだ。その坊さんが、仏となる祖父の前で、生前の祖父との思い出を、一人の坊さんとしてではなく、一人の友人として、僕たちに語りかけている。そのなんでもない事実が僕をひどく動かした。

 

 祖父の死は、家族親類を彼の生家に集結させた。そこには――奇妙なことなのだが――各々が彼との思い出話に花を咲かせ、生き生きしている姿があった。それはまるで祖父の死を分け合っているようだった。そこに生れた一種の一体感とでもいうべきもの、祖父の遺志を引き継ぐ各人が、何か得体の知れぬ、ある目方をもったものを受け取っていく様子を実感するとき、ああ、祖父はこのために死んだのだな、そう思った。

 彼の死が、僕の人生において何が大切なのかを明らかにした。それは故人を偲ぶことであり、また故人に負けないよう人生を生き抜くことだった。故人が守りたかったものを引き継いで守ること。故人が言い遺したことを後世に語り継ぐこと。父はその責任をすでにほぼまっとうしている。いつかその責任が僕に渡される日が来る。覚悟のいることだし、軽いものでもない。だがそれはできるできないの問題ではなく「やるしかない」ものだ。それが尊いから。

 人並外れて丈夫だった祖父も病魔には勝てなかった。その頑健な肉体もいまは骨だけになってしまった。だが、壺におさまった祖父の全重量を支えた感触を、僕の手は生涯忘れないだろう。

 

 なき日々の 影ふみ そばに とどめむと

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