着想メトロ

アイデアとは、世界の捉え方を再構成することで新たな価値を獲得し、さらにそれを経験によって持続させる、一連のプロセスのこと。

本を読むのに「しおり」は要らない

読み方が一直線になる

 栞を挟んで読むことによる弊害は、「栞より前の部分をわかった気にさせてしまうこと」だ。また「栞を挟む」という行為によって機械的に読書の進捗度を記録することで、「本を読み終わること自体」が目的になってしまう可能性がある。それは読書でもなんでもない。文字を目で追うだけになってしまう。

後戻りをしたか

 本というのは一回さらっただけではもちろんわからない。というか、それでわかってしまうような本は読む必要がない。

 一度でわからないのだから、必然的に「後戻り」することが必要になってくる。後戻りするときはいつも「ん」とか「は?」、「それってなんのことだっけ」など、疑問符が浮かんだときなのだ。これを見逃してはいけない。

 栞をあえて挟まずにおき読み進んだ部分を曖昧にしておくことで、後戻りする機会を増やす。筆者が前提としている部分などは意外と見過ごしてしまうのもので、これは筆者の意見を曲解してしまう主な原因となる。それを未然に防ぐためにも、前で何が述べられていたか、というのをいちいち確認していく過程が重要になる。こうした「重ね読み」をすることは、本が持つポテンシャルを十分汲み出すための前提となる。

先読みもしてしまう

 本は始めから最後まで読まなければならないということはない。だから目次といううものがあるのだ。自分の興味ある話題が言及されているところから読み始めることもできる。もちろん筆者は往々にして論理を順序よく展開するから、始めから読むほうがそうした筆者の意図を掴むのにはよい。

 だがここでは「体験のための読書」をしたいのだ。自分の意見・感情・経験と結びつけて、本と個人的な関係を結ぶ読書だ。この読書のためには筆者の思惑通りに本を読む必要などなく、自分の思うとおりの順番で興味に任せて読んだほうが体験としてインプットされやすくなるし、「途中から読んでしまっている」という認識が疑問点を見過ごしてしまう危険を減じる。「途中から読んでいるのだから疑問があって当たり前」という考えが生まれるからだ。

 ものすごく適当な読み方だな、と思われるかもしれない。ぼくはそれでいいと思っている。最初はものすごく適当に本と向き合う。そういう適当な気持ちでも、心に残る、つまり読み手の個人的体験になり得るような部分は、否が応でも向こうから現れる。そういう予兆が見え始めたら、今度は真剣に読んでみる。それでいいではないか。

三色信号で体験を視覚化する

 そうして本と友達になれそうな気配が漂い始めたところで、初めて付箋の出番である。これには青、黄、赤の三色をつかう(もちろんこの三色でなくてもいい)。青は賛同する部分(ポジティブなイメージを持てたところ)、赤は反対する部分(ネガティブなイメージを抱いたところ)、黄色はわけがわからなかった部分に貼りつける。

 青はあとで持論を後押しするために引用できるし、赤はもしかしたら自分の価値観を立て直す契機となるかもしれない。もちろん持論の正当性を際立たせるために使ってもよい(ただ個人的にはこうした使用法は好きではない)。黄色は、何らかの原因でその部分を理解するための状態が自分の中で整っていない部分である。読書をするのはこうした「違和感」に出会うためだといってもよい。この理解不能な部分は、本の中で解決することもあれば、もっと開かれた意味でわからない部分であって、読み手の成長が必要なだけにその場では解決しないこともある。後者の場合がもちろん大切で、本を通した体験を生みだす源泉となる。

 この三色信号を最初の段階でやってしまうと、まだ過渡的状態にある自分の読書を無理に方向づけてしまうばかりでなく、読み進めるに従って色が移り変わるということが頻繁に起こるので(黄→青など)、これに伴って付箋を貼り変えるのは非常にめんどくさい。だからある程度本との関係が確立された段階で実行するのだ。

 もちろん自分自身の成長によって色が移り変わる場合もある。それはまた別の話で、読書を通して自分の経験を物語にできるのだからしめたものである。

 「この本(または著者)を理解したい」、そう思わせるほどの何かをその本が持っているのなら、友達と向き合うつもりで本を読むのだ。

 友達の理解できない部分に直面したとき、それを放っておくか、とことん突き詰めるか。放っておいたら穏便な関係で済ませられるかもしれないが、そこには何も生まれない。一方、自分が納得するまでその不理解を掘り下げることは、もしかしたらその人との関係を修復不可能なまでにボロボロにしてしまうかもしれない。だが反対に、唯一無二の親友となれる可能性もある。赤の他人でいることに満足するか、それとも真正面からぶつかり合うかだ。まるで青春時代での人間への接し方だ。

 本との関係は人間関係とは違って社会的条件に左右されない。つまりいつでも読み手は青春時代でいいのだ。だからここでは迷わず体当たりを選ぶ。

まとめ

  • 栞とはおさらばする
  • 本をいろんな読み方(線形ではない読み方)で紐解き、個人的な関係を結べるか試す
  • 友達になれそうだったら詳しく始めから読んでみる(疑問があったら迷わず後戻りすることを忘れない)
  • 三色信号で読書体験に色をつけ、ストックしておく
  • そうやって著作と体験を共有したら、今度はそれを著した著者にも興味を持ってみる