フランス映画「Bienvenue chez les Ch'tis」
あらすじから述べようと思う。
南仏のある町の郵便局長を務めていたフィリップが、とある事件をきっかけにフランス北方に左遷されてしまう。北仏に関しては悪い噂が絶えない:気候も人も極度に冷たいというのだ。そんな場所で最短二年間郵便局長を務めることを命じられたフィリップは、激怒した妻に見放されたった一人絶望の中北へ向かう。
目的地に到着した直後は噂が本当なのだと信じかけた。というのも、目的地近郊に達した途端土砂降りで、彼を迎え入れることになっていた郵便局員のアントワーヌが言っていることすらほとんど理解できなかったからである。
ところがこの地で暮らしているうちに、噂はまったくのデマで、実は人々がとても温かいということにフィリップは気付いていく。
作品全体は非常にユーモラスで人間味に溢れている。
特筆すべきところは、この映画を面白くしている核が、言語表現そのものにあるということ。同じ国フランスにも様々な地方言語があり、同じ綴りでも発音が違ったり、同じ発音の単語が全く別の対象を指していることもある。それによる微妙な理解のすれ違い、独特な表現を理解することのむずかしさ、そういう面白みを全面に出した映画なのだ。
そう、フィリップが左遷された地方(Nord-Pas-de-Calais)は、ロマンス語のひとつピカルディ語(Nord-Pas-de-CalaisではCh'tiと呼ばれる)が話されている地域だったのだ(実在する言語である)。
初めはこの言語に馴染めず、ゆえにその地での生活にも馴染めなかったフィリップだが、徐々に言葉からその地に住む人々の文化を学んでいき、郵便局の同僚とも親しく付き合い始める。
言葉を知らずして人を知ること、また言葉を知らずして文化を知ることはナンセンスであるということ。
言葉は思考そのもの。
人を知りたくて、文化を知りたくて言葉を学ぶのなら、「通じればいいや」なんていう適当な態度ではいけない。確かに言語は意志伝達の手段だが、その前に人・文化の礎なのである。外語を学び始めることは、その文化の入口に立つことである、と言われるゆえんである。
外語に限らなくても、常に言葉に対して「繊細」でありたいものだ。
Bienvenue chez les Ch'tis — Wikipédia(仏語)
Bienvenue Chez Les Ch'tis (B.O.F.)
- アーティスト: Philippe Rombi
- 出版社/メーカー: Naive
- 発売日: 2008/11/06
- メディア: CD
- この商品を含むブログを見る