着想メトロ

アイデアとは、世界の捉え方を再構成することで新たな価値を獲得し、さらにそれを経験によって持続させる、一連のプロセスのこと。

書き写すことの大切さ

 理解からもっとも遠いようなこの行為のどこが優れているのだろうか。

 まず始めに学びたいものがあるとする。それは数学の一分野でもいいし、ある作家の文学でもいい。

 そうしたら学びたいものがしっかり学べる座右の書を選ぶ。

 いい本は汲めども汲めども汲みつくせないものだ。そして良書は新たな発見が読み返すたびにある。そこが違う。そして読めば読むほどなんらかの構造、作者が意図したであろう緻密な構造が見えてくるものである。初見からは想像もできなかったようなことが行間に見出せる。噛めば噛むほど味が出る、まずはそんな書を選ぶことから始める。

  そのような本は往々にして難解であることが多い。これは個人的な意見だが、この難解さは筆者のある哲学的、個人的な主張が混ざっているからだと考える。するとどこまでが一般論で、どこからが筆者の見解なのかを読者はしっかり区別する必要がある。こういう手間があるものの、やはりその道の達者の展望を垣間見れるのは貴重な体験だろう。まずはわかり易さを優先するのか、初めから手加減なしの本格的なものに挑むかは個人に依っていいと思う。

 図書館(あるいは大型書店)に行き、関連の書物に一通り目を通す。その際自分の中にある程度選別の基準を設けるとよい。

 多数の人に読みこまれているか(垢がついていたり、表紙が傷んでいたり)、字体、内容の構成、目次、索引、まえがき、あとがきなどを参考に候補を絞り込む。

 まえがきにしっかりと内容の要約、対象とする読者に求められる予備知識が書かれているか。あとがきに、読了した読者への今後の進路に対する助言などがあるか。

 また字体も実は大切で、ばかに出来ない。TeXで書かれた本が好きな人もいれば、一昔前のすこし染みたような字体が好きな人もいる。そこは好みなので、できれば自分に馴染むものを選ぶようにする。

 また巻末の参考書が充実しているかもひとつの注目すべきポイントだろう。引用した論文がしっかり挙げられていれば、今後の学習の指針にもなるだろう。

 このような点を総合して評価して、自分に合うものを選び出す。

 二、三冊まで候補を絞ったら、今度は最初の一節(または一章)を読んでみる。そうすると始めに抱いたものとはまた違った印象になるはずだ。筆者の論の運び、口調、はたまた語彙の選び方などを観察しよう。

 そうして自分なりに評価を固めたあとで、今度はAmazonなどのサイトで他者のその本に対する評価を見てみる。評価している人が多ければ多いほどいい。ただし参考程度に留めること。あくまで自分のもった印象が第一だ。どういうモチベーションでその本を読み、そのうえで読後の満足度がどの程度かをチェックしよう。読者によって本に求めるものは異なるから、当然評価の基準も異なる。

 また友人や先生に訊いてみるのもよい。特にその分野の専門家が知り合いにいるときは、迷わず助言を求めに行こう。その際は本に自分が求めるものをできるだけ明確にしておくこと。

 そうして選んだ本が、とりあえずは学習の友になる。

 自分に合った本をみつけるのは難しいし、自分の好みに合わない本でも、やはり名著と謳われる本は得るものが多いのも確かである。また読み進めるに従って最初は見えていなかったものが見えてくる場合もある。

 その分野にある程度通じているなら本に求めるものもはっきりして選びやすいのだろうが、ここでは複数の本にあたるより、ひとつの本をじっくりと精読することを薦める。一度決めたらまずはその本を読破してみる。そうする前に他の本にうつるのはあまりすすめない。

 なぜかというと、本というものの多くがそもそも読み終えられることを前提として書かれているからだ。また一通り学び終えないと得られない理論全体の俯瞰、その構成要素同士のつながり、他の分野とのつながり、また筆者の伝えたいこと、理論を支える大事な骨子が、「読み重ねる」ことによって徐々に明らかになってくる。

 人間というものは不思議で、わけのわからなかったものも長い時間接して、理解しようと努めていると、いつのまにか当たり前のことのようになってしまうものである。最初はわからなくて当然、何度でも読み返してみよう。

 繰り返しを厭わない態度こそ、その道で上達する王道である。

 さて、繰り返し学習を助けるひとつの方法が、タイトルにもある「書き写し」である。書き写すに足る本を選んだら、今度はそれを書き写してみる。ばかな行為だと思わないでほしい。これが意外と強力な手法なのだ。

 内容に目を通さないでいきなり書き写したらいけない。

 まず一章なら一章と、内容を分割して理解しようと努めてみる。論理に不明確なところがあったり、知らない定理、語彙、その他自分にない知識が前提とされている場合はそれを詳細に調べる。そうして自分なりにまとめて保存しておく。

 また、たとえばある定理の証明の過程で、改善できそうなところがあったらメモしておこう。誤字、脱字などはどの本にも多かれ少なかれあるもの。見つけたらこれもメモしておく。

 こうしてだいたいその章の内容を理解できたと思ったら(理解できないところがあっても気にしない)、今度は本文を写しにかかる。不必要な部分などは適宜自分で判断しカットする。その際これまで調べたことや、ためていたメモなどを本文に挿入して自分なりにまとめる。こうしてその本にそっくりだが、より自分に馴染んだ、世界にひとつだけの教科書の第一章ができあがる。

 また本文を写す際は、本文をみる回数を最小限にするようにする。たとえば一文を咀嚼し、記憶し、それを書き写す。書き間違えた箇所があれば、それは自分に馴染みのない部分である可能性が高い。見逃さず、赤ペンで直しておく。

 そうして一冊分を書き写すころには、個人差もあるが、半年、もしくは一年が経過しているはずである。ノートも5,6冊にふくれあがっているだろう。

 次なるステップは、本を読み返すことである。すると今までとは違った解釈ができることがある。これをすかさずノートの該当部分にメモしておく。また今まで見えてこなかった視点が得られる場合もあるから、これも適当な場所にメモしておく。一周目と違った色でメモすれば一目瞭然であってよい。

 だんだんとノートにメモする場所がなくなってくる。こうなったら今度はノート自体を読み返してみる。すると今までの自分の理解度の歴史が自分の中でまとめられていくだろう。こうして理解がさらに次の段階へと進む。ここまで来たらもう論文を読める段階だろう。実はここまでやってきたことはすべてこのためなのだ。論文を読むことに関してはまた別の機会にまとめるつもりだ。

 一見泥臭い作業だが、やっているうちに要領もつかめてきて楽しめるようになるだろう。苦痛であってはいけない。楽しめないと、何をやっても意味がない。